とある金型メーカーから聞いた苦悩と展望

先日、とある金型企業を見学させていただく機会に恵まれた。主に自動車関係のアルミ鋳造金型を設計製造している中小企業だ。ご存知のように、現在こういった金型関係の中小企業は苦境に立たされている。そんな状況の中で、社長さんから伺ったお話は大変興味深く、また考えさせられるものだった。


まずは工場見学の話。
やっぱり工場見学は面白い!こういう見学に行く度に思うんだけど、子供の頃に学校で社会見学とか行ったけれど、大人になった今のほうがずっと楽しめるんだろうな、と思う。大人の社会見学(エロい意味じゃないよ!)みたいな企画があれば行ってみたいかも。
工場見学の第一印象は、「金型ってデカい!」。金型というのは、製品形状の何倍もの大きさになる。ってのは、まあ知識としては聞いたことがあったんだけど、やはり実物を見るとそのデカさ、重量感、存在感に圧倒される。数人で囲まないと抱え切れないほどのデカい鉄の塊が、ミクロンオーダーの精度で加工されているわけだ。
次の印象は「金型って複雑!」。型って聞くと思わずメス型に単に流し込むだけ、っていうのを想像するけど、実際はそんな単純じゃない。型の抜き方向が沢山あるので、その分だけ金型にも複雑なギミックが必要になる。しかも鋳造金型は冷却機能が必要になるので、内部には冷却パイプが複雑に走っているのだ。金型の周りには冷却水のパイプがわんさか取り付けられていてちょっとシュールだ。
そんなわけで、金型はかなり厳しい温度環境に晒されている。ドロドロに熱く溶けたアルミを流し込んで、冷却水で一気に冷却して、製品を取り出したらすぐに次のアルミを流し込む。だから金型内部の温度分布はかなり複雑で激しいんだろうと思う。へたをすると温度のせいで型が歪んで、結果として製品形状も歪んでしまう。これをどう防ぐか、が重要なポイントで、ここに流動解析やら構造解析やらも利用されるようだ。


そんな高度な技術が要求される金型だけれど、やはり仕事は中国などに流れているという。もちろん品質では負けない。日本の基準で見たら中国のメーカーの金型は許容できるものではない。にもかかわらず、仕事は中国に流れる。なぜか。
自動車メーカーは今、「地産地消」という方針を打ち出し始めている。つまり、中国で販売する自動車の金型は中国で調達する、というのだ。現在国内で生産される自動車のうち半分以上は輸出されている。それらをすべて「地産地消」にすれば、国内の金型市場は半分以下になることになるのだ。単純に考えれば国内の半分の金型メーカーは潰れることになるのかもしれない。そういう危機感を持って今後の経営を考えなくてはならない、とその社長さんは仰っていた。
しかし、先程書いたように中国製の金型の品質はまだまだ低い。にもかかわらず、自動車メーカーが地産地消を進めるのは理由がある。それは、中国の消費者がその品質で満足してしまうから、というものだ。多くの中国の方にとっては自動車というのは憧れの対象で、自家用車を買うことが豊かさの象徴なのではないだろうか。そういう市場では、限界を追求した高品質というのはまだ要求される段階ではない。それよりも「安いこと」が遥かに重要なのだろう。


ただ、日本は品質が高いとはいうものの、その「日本の基準」がいわゆる「過剰品質」である傾向もあるようで、その社長さんもその基準に少々苛立っている様子だった。
当然ながら製品の寸法には重要なものと割とどうでも良いものがあるわけで、テキトーにつけたフィレットRの寸法なんて精度はどうでも良かったりする。にもかかわらず、日本企業の品質チェック部門が官僚化してしまっているのか、杓子定規に製品のどの部位にも同じ精度を要求されてしまうようなのだ。こういう無駄で過剰な品質チェックが、日本を高コスト体制にしてしまっている可能性もあるのかもしれない。


ならば、と逆に自ら中国市場に攻めていこうとすると、今度はヨーロッパの企業が立ちはだかるという。
中国人に金型だけを見せても買ってくれる人はいないそうである。中国では金型から成形済みの製品でないと買ってもらえない。ところが日本の製造業は分業が進んでしまっていて、製品設計と金型と生産ライン、すべて別々の企業になっている。つまり数社が集まって合意してからでないと全く受注できないのだ。これに対してヨーロッパには一社で設計から製造まで出来る会社があるらしく、一社だけで中国にやってきてスピーディに受注をかっさらっていくそうだ。
これは分業のジレンマとでも言えるものかもしれない。一般論としても、高度に都市化が進むほど社会は細かい専門分野に細分化され、分業が進むものだと思う。そういった都市社会で高度な専門技能を身につけた人が、何かの拍子に未開の土地に放り出されたとしたらどうなるか。分業という「進化」は荒野では全く役に立たない。専門家は荒野ではサバイバルできずにただ死すのみだろう。ちょっと前に「JIN-仁-」というドラマ(原作は漫画)をやっていたけれど、ああいう現代の医者が過去にスリップして大活躍とい筋書きはあまり現実的ではないんじゃないかと思っている。日本の製造業が中国で活躍出来るか、という問題は実は、現代の製造業者が過去にタイムスリップして活躍出来るか、という問題に近いのかもしれない。


そんなわけでその社長さんは、将来は自社で金型だけでなく製品の生産工場も持てるようになりたい、と夢を語っていた。金型のみに専業化した状態では品質追求が部分最適にしかならない。金型の品質ではなく、金型が成形する製品の品質にコミットすることで全体最適に近づけたい、ということだと思う。生産工場まで所有して製品レベルのトータルな提案ができるようにならないとアジア市場で生き残れない、ということだと思う。
僕のような若輩者がいうのはかえって失礼かもしれないけれど、この苦しい状況の中をただ嘆くだけではなく、逆境に立ってなお未来に向けた一手を模索している姿勢がとても頼もしいものに感じられた。まだまだ厳しい状況が続きそうだけれど、このスピリットがあればきっと良い未来を切り開くことができるに違いない。