搾取されるクラフトマンシップ

もうダメかも分からんね。

今週の日経ビジネスの特集記事「トヨタショック / モノ作り危機 - 現場力死守、最後の戦い」を眺めながら、そんなため息が出てしまった。


日本という国は、少なからずクラフトマンシップで成り立っている、と思う。

しかしながら、そのクラフトマンシップは都合よく利用され、搾取されているんじゃなかろうか。僕たち日本社会は、口では職人の技を賞賛し、現場主義を標榜しながら、実際には職人が厚遇される環境を作ってこなかったんじゃないだろうか。どの業界でも、職人というのは重層的な階層構造の最下層に位置しているように見えるのは気のせいだろうか。

金型職人は、製造業の重層的な階層構造の最下層で仕事をしていると聞く。

SIerも、元請はプログラミングはしないで、そういう職人作業は下請けに丸投げ、なんて聞く。

TV業界は?医療は?

直接に幅広く見聞しているわけでもないので断言は出来ないのだけれど、どうも現場ばかりが苦しんでいるような印象を受けている。


製造業の危機として派遣切りの問題ばかりが報道されている印象があるけれど、たぶん製造業の危機はそこだけじゃないよね。製造業にもIT業界でよく話題に上がるような重層的な階層構造の問題があるわけで、その最下層の下請けから順番に切られているのが現状じゃないのかな。

ときどき疑問に思う。日本の製造業を代表するような大企業たちは、本当に「ものづくり」をしているんだろうか、と。現場の工場は派遣や期間工で回し、金型は簡単に切れる下請けに回し、海外製のCADを使って設計し、解析は外部のCAE専門会社に委託する。本当にものをつくっているんだろうか。彼らは何を作っているんだろうか。ものづくりという言葉は、一体どこからどこまでを指しているんだろうか。

本社機能には何が残っているんだろう。総務部、人事部、購買部、法務部、知財部・・・。ずいぶん官僚化が進んでしまっている部門も多いんじゃないだろうか。ではその他のものづくり系の部門はというと、どうも「フロントローディング」とか「コンカレントエンジニアリング」、「垂直統合」「水平展開」といったある種のバズワードを並べ立てて、パワーポイントの資料ばかりを作っている印象を受ける。さて、パワーポイントはものづくりに含まれるのかどうなのか。


もちろんね、本社機能も大事だと思うよ。現場だけだと視野が狭くなっちゃうし。本社の視点からトップダウンで進めなければ進まない改革だってあるし。

しかしね、もうちょっと現場のクラフトマンたちが尊重される仕組みにはならないものか。口では「日本の職人すげー」って賞賛しておきながら、不況になったら真っ先に切られるのが職人って、どうなのよ。

そんな状況でもね、たぶん職人さんって真面目にやっちゃうんだと思う。だってクラフトマンシップがあるから。職人気質だから。品質は落としたくないってプライドがあるから。現場はね、手を抜けないから。それが現場だから。

もしこの国が、こういうクラフトマンシップの搾取の上に成り立っているならば、そんな国くそくらえだ。


クラフトマンシップ復権のためには、何をすればいいだろう?

やっぱり、ある程度は解雇規制を取り払ったほうがいいのかなー。逆説的だけど。

通常なら、弱い人を保護するためにはより雇用を保護しなくてはならない、という意見になるだろう。でも、本来ならクラフトマンは強い人たちだよね。彼らは手に職があるのだから、転職には強いはずなのだ。技能も資格もなく単に利権にしがみついているだけの人と比べたら、本来なら転職にはよっぽど強いはずだ。そうでなくっちゃおかしい。

しかし、どうしてもクラフトマンの仕事は外注しやすい。これに対して本社に残っている機能は、やっぱり外注しにくい業務が多い。例えば人事部を外注したら会社が成立しないだろう。こうして、クラフトマンは弱い立場に追いやられてしまう。均衡が崩れてしまう。

でも解雇規制がなかったらどうだろう。本社の正社員だって解雇のリスクに晒されることになる。クラフトマンシップを搾取して生きているだけでは済まなくなる。常に「仮に今会社を辞めたら転職市場でどう評価されるか」を意識しながら仕事をすることになる。緊張感が高まる。そうなれば、クラフトマンとの関係ももう少し良好なパートナーシップに変わるかもしれない。


クラフトマンの側からも、何かやれることはないだろうか。

まず、昔ながらの職人技を伝承しているだけでは生き残れない、というのは確かだと思う。常に新しい技術も取り込んでいくような進取の精神も必要だろう。

でもそれだけでなく、何かビジネススキルのようなものも必要になるのかもしれない。自動車会社からの発注を待っているだけでは、中国との価格競争に負けて値切られるだけになってしまいかねない。そうではなく、自分たちの技術がどこに使えるかを自分たちで判断し、売り込みにいくような姿勢が必要になるのかもしれない。


先日、「ソフトウェア職人宣言」というのを目にした。

「ソフトウェア職人」を希求する同志として、私たちはソフトウェア開発を実践すること、そして仲間がその技術を学ぶのを助けることによって、プロフェッショナルなソフトウェア開発者のレベルを上げていく。この活動を通じて、私たちは、以下のことを価値とするに至った。

  • 動くソフトウェアだけでなく、しっかり作られたソフトウェアを。
  • 変化に対応するだけでなく、着実に価値を付加していくことを。
  • 個人と相互作用だけでなく、プロフェッショナルたちのコミュニティを。
  • 顧客との協調だけでなく、生産的なパートナーシップを。

すなわち、左側に書かれたことを求めるには、右側のことが不可欠であることが分かった。

Copyright 2009(この宣言はこの注記も含めて全体を転載するのであれば、どのような形でコピーしてもかまわない。)

Manifesto for Software Craftmanship(ソフトウェア職人マニフェスト)にサインしよう:An Agile Way:オルタナティブ・ブログ

素晴らしいなぁ、と思いつつも、現在の問題のボトルネックは本当にクラフトマンシップにあるのだろうか、という疑問も湧いてくる。何かもうちょっと、ビジネス的な価値というか、ビジネスとしての成功みたいなことをこういった宣言には入れられないのだろうか、などと思った。


僕は、搾取されることのない、したたかな強さがあるクラフトマンシップを身につけたいと思う。そして、日本津々浦々の現場を支えている方たちにも、したたかに生き抜いて欲しいなと願う。何もしれやれないくせにこんなことを書くのは偽善に過ぎないかもしれないけれど。