例えば製造業のような巨大な産業は、経済のいわば心臓なのだろう。この心臓が送り出す血液は、マネーであり、労働力であり、製品である。

お金の流れを考えてみる。産業構造の頂点にいる企業がモノやサービスを販売し、広く一般消費者からお金を集めてくる。集まったお金は二次請け、三次請けと産業ピラミッドの下方に向かって分配されていく。頂点の企業は、消費者からお金を集め業界に分配する漏斗のような役割を果たしている。

当然ながらサービスの流れはこれと全く逆になる。産業を構造化し階層化し労働力を集約し、モノやサービスに仕上げて一般消費者へと流れていく。ここでも頂点の企業は労働力を集約する漏斗の役割を果たしている。

かつてコンシューマ市場への販売チャネルを持ち経済の漏斗となるのは大企業の特権であったように思う。しかし最近はそういった構図が崩れてきているのかなと思う。

メディア業界が分かりやすい。かつてメディアを持ち広く情報を発信できるのはテレビ局や新聞社、出版社など限られた企業のみであった。しかし今やブログやツイッターを利用すれば誰でもメディアになることが出来るようになった。一部の企業が「情報の漏斗」たる地位を独占することはできなくなった。

直観的に、今後の進化の方向性として「高度化」「効率化」「大型化」は難しいという気がする。「多様化」する以外にない気がする。多様化するということはつまり分散するということである。分散するということは大きな「漏斗」が無くなっていく、減っていく、ということである。太い動脈ではなく無数の毛細血管を張り巡らせて血液を循環させるようになるということである。

我ながら何を偉そうに書いているのか、と思う。ぜんぜん分かってないのに。どんな未来が待っているのだろうか。せいぜい目を凝らしてみるくらいの努力はしてみようかと思う。