アメリカ雑感

アメリカというのは特異な国だな、と思う。


国がきちんとひとつの国として存在するためには、その国のアイデンティティというものが必要なのだと思う。何が自国であって何が他国なのか。誰が自国民であって誰が他国民なのか。誰が味方で誰が敵なのか。

自分と他者を区別するための境界がなくてはならない。自分が規定できなくてはならない。そうでなければ自分とは何なのかが分からなくなる。自分が自分でいられなくなる。


この点、日本は簡単だ。

日本人の顔立ちをしていて、日本語を話していれば、それは日本人なのだ。あまりに自明のことであって、ことさらに日本人が日本人たる定義を意識する必要がない。

だから、ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏は、米国籍であるにも関わらず、日本人として認識されてしまう。


アメリカという国は、この点でなかなか難しいんじゃないかと思う。

アメリカは移民で成り立っている。あらゆる人種が混在している。彼らはそれぞれ、異なるルーツを持っている民族だ。

言語も複雑だ。自国民に英語が話せない人たちがたくさんいる一方で、世界中に英語が話せる人はたくさんいる。英語を話すこととアメリカ人であるかどうかはあまり関係がない。

まだ歴史も浅く、文化も価値観も多様だ。アメリカという国は、いつバラバラになってもおかしくないんじゃないか、という気さえしてくる。

彼らは常に、自分がバラバラになりそうな恐怖と戦っているのではないかと思う。

よいスピーチである。
政策的内容ではなく、アメリカの行く道を「過去」と「未来」をつなぐ「物語」によって導き出すロジックがすぐれている。
「それに引き換え」、本邦の政治家には「こういう言説」を語る人間がいない。

大統領就任演説を読んで - 内田樹の研究室

たぶん、彼らにはその「物語」が切実なまでに必要なのだ。逆に日本人には、そこまで「物語」の必要性がないのだろう。
・・・というこの文章自体が、「日本人というのは『それに引き換え』というかたちでしか自己を定義できない国民である。」という内田樹氏の洞察に見事にはまっているのだけれど。


以前、英会話スクールで米国人講師と交わした会話が印象に残っている。

彼が「日本は歴史も伝統もあって面白い」というので、僕は逆に彼に聞いてみた。「アメリカには日本ほどの長い歴史も伝統もないけれど、日本のことをうらやましいと思うか?」と。

彼は暫く難しい顔で考えていたけれど、顔を上げるとはっきり No と答えた。そしてこう続けた。「アメリカ人のアイデンティティは Change だ。アメリカ人のアイデンティティは古い伝統を守ることにあるのではない。常に新しいものに Change していくことが、アメリカ人のアイデンティティなのだ。」

ちなみに、ここで Change というキーワードが出てきているけれど、この会話はオバマ氏の演説で CHANGE が流行するより前に交わしたものである。