お金は保存量じゃないんだよね
今朝の朝刊に、こう書いてあった。
先月来 世界1400兆円失う
思わず「無くなったその1400兆円はどこへ行ったの?」と聞き返したくなるけれど、文字通り消滅したんだよね。誰かが盗ったわけじゃない。お金は保存量じゃないから、世界のお金の総量は増減するわけだ。
僕は経済のことは全く分からないんだよね。理系の性なのか僕がバカなのか、どうもお金は保存則が成立しないという辺りが気持ち悪くていけない。どうもしっくりこないというか、座りが悪い。
高校物理で、質量保存則とか運動量保存則とかエネルギー保存則とか、出てくるじゃない。要するに「こっちで減ったものはあっちで増えている」ていう保存則があるわけで、そういう保存則と実世界での体験を照らし合わせて物理を理解してきたわけだ。物理を理解する軸は、こういった保存則だった気がする。
でもお金にはその保存則が成立しない。だから何を軸に経済を理解すれば分からない。そんな感じ。
つらつらと僕が考えていることを書いてみるよ。間違いがあれば教えて欲しい。
錬金術?
お金は保存量じゃない。ってことは、経済の世界では錬金術が成立するってこと?
極端な例で考えてみよう。とある国では物々交換によって日々の生活を送っていたとする。このとき、この国で回っているお金はゼロだ。さて、あるとき「我が国にもお金というものを導入しよう」ということになって、お金を媒介して財の交換を行うようになったとする。この瞬間、この国で回っているお金はゼロではなくなる。無から有が生まれたことになる。なんだか錬金術みたいじゃないか。
別の例を考えてみよう。とある国では、土地というものは資産として考えられていなかった。あらゆる土地は「みんなのもの」であって、誰かが境界線を引いて所有権を主張することはなかった。仮にあっても、その境界線はみんなで相談して決めてきた。しかしあるとき、新たな法律が施行され、国土をあまねく境界線で区分けしどの土地が誰のものかを厳密に管理するようになった。それらの土地は財として値段が付けられ売買されるようになった。この瞬間、土地に付けられた値段の分だけ、お金の総量が増えたことになる。
さて、例を具体的にしてみよう。この辺から完全に、僕は自信がない。
あるときまで、みんな二酸化炭素は自由に排出していた。排出していることを意識もしていなかった。そんなものが制限される日が来るだなんて想像もしていなかった。しかし月日は巡り、地球温暖化の悪玉として二酸化炭素が挙げられるようになり、その排出権が取引されるようになった。つまり、今までは誰も価値を認めていなかった行為に値段が付けられ、取引されるようになった。なーんか、錬金術っぽいような。
欲望の総量とお金の総量
欲望は無限、ってたまに聞くけど、ホントかな。
一人の人間が、一生の限られた時間の中で、消費しきれるサービスの総量には上限があるんじゃないか。ってことは、世界全体で実際に消費しきれるサービスの総量には上限があるんじゃないか。そんな気がする。
もし世界に、その総量以上のお金が存在しているとするならば、なーんかそれはおかしい気がする。何かが間違っているような気がする。いずれ破綻するのは当然じゃないか、と思う。
今回世界失った1400兆円ってのは、必要以上に余っていたお金が無くなっただけなのか、そういう捉え方は間違っているのか、その辺の判断というか感覚がつかめない。