ソフトウェアにおけるオブジェクトとは、食事における御飯のようなものだ?

「みなさん、オブジェクト指向熱が冷めてませんか?」
「うーん。オブジェクト指向って御飯みたいなもので、確かにないと困るんだけど、あるのが当たり前で特に熱狂する対象じゃないんです」
デブサミオブジェクト倶楽部オブジェクト指向入門より

聞いていて「おー、確かに」って感じで、結構笑えた。面白い。

オブジェクト倶楽部、最初はオブジェクト指向技術の普及、ということが大きな目的でした。でも、今はオブジェクト指向、という言葉自体は、「中心」ではなないでしょう。では何なのか?誰かが、「サブジェクト倶楽部では?」と言っていましたが、あたっていると思います。

オブジェクト倶楽部クリスマス終了:An Agile Way:オルタナティブ・ブログ

はい、言ったのは私です(笑。
でもそれはもちろんジョークで、もちろん名前はオブジェクト倶楽部のままで良いです。関係者の皆様、お騒がせしてすいません。

例えば「御飯倶楽部」っていう倶楽部があったとしよう。多分それはみんなで食事に行く倶楽部であって、白米について熱く語る倶楽部じゃないよね。僕たちは「食事に行こう」という意味で「御飯に行こう」って言うし、「御飯に行こう」と言ったのに平気でパスタを食べたりする。日本人にとっての御飯(白米)とは、食事全体を代表してしまうくらい当たり前のもの、ってことだと思う。
それと同じで、オブジェクト倶楽部が必ずしもオブジェクト指向について熱く語る倶楽部じゃなくても構わない気がする。「ソフトウェアの話をしよう」という意味で「オブジェクトの話をしよう」って言ってもいいくらい、もうオブジェクト指向は浸透したんじゃないかな。


えと、ちょっと余談。
ちょっと前までは、「オブジェクト指向は難しい」とか、「デザインパターンが重要だ」とか口々に叫んでいたのに、最近誰もオブジェクト指向(特にオブジェクト指向プログラミング)の大切さを声高に叫ばなくなったのは何故だろう?
他にも理由はあると思うけど、僕が思うに、「オブジェクトは作るものじゃなくて使うもの」みたいな意識が広がったからじゃないかな。オブジェクトって、使って天国作って地獄、みたいなところがあって、使うにはすごく便利なんだけど、美しいオブジェクト指向設計を組み立てるのはとても難しい。だけど、自分で作らなくても、きれいにオブジェクト指向設計されたツールやフレームワークがたくさん登場してきちゃった。そういったツールを使っていると、自然となんとなくOOPっぽくまとまるようになっちゃった。
だからといって「オブジェクト指向はもう重要じゃない」というのは、なんか違う気がしている。だって、そういうフレームワークを設計しようと思ったら深いオブジェクト指向設計の知識と感性が必要だと思うからね。