ブログのスタイルを変えてみることにした。ふと、突然、朝の電車に揺れながらそう思ったのだ。吊革につかまりながらぼんやりと、ずっとブログを更新していないことに思いを巡らせて、唐突にそう決断した。何か物事を決めるときはだいたいそんなものだ。

タイトルを書かないことにしよう。

ブログと言ったものの、この場所は一応「はてなダイアリー」というサービス名ではないか。日記ではないか。ならばその名の通り日記としてこの場を使えば良い。何も無理に主張のある記事を書こうと悩む必要はない。不必要に読者の目を気にする必要はない。想定する読者は未来の自分と設定しよう。お前は何かを書きたいのか、何を書きたいのだ、何故書きたいのだ、などと自問してみるに、今現在のその答えはどうやら主義主張を世界に訴えて評価を得たいとかそういうことではなく、むしろ時間が経ったときに読み返してみて、ああ、あの頃はこんなことを考えていたんだなあなどと思い返したいとか、ウジウジと考え悩んでいることを書き連ねてみて胸の内を吐き出してみれば何かスッキリすることもあるかもしれないとか、そういった動機のほうが強いようなのだ。

ならばタイトルは必要あるまい。

タイトルというものは、たかがタイトルでありながら、意外に重荷であるように思う。タイトルを付けよと言われると途端に、まとまった内容の主義主張を込めなくてはならないという気になってくる。メールを書くとき案外一番面倒なのはタイトルだったりする。Twitter が流行している理由も本質は140文字の制限ではなく案外タイトルがないことじゃなかろうか。


それにしても口内炎が痛い。10日ほど前に唇を噛んでしまい、ここ2〜3日で急速に立派なクレーターに成長し滲みること甚だしい。リステリンが効くと聞いて以来、口内炎が出来ると必ずリステリンでうがいをするようにしている。そのリステリンがまた堪らなく滲みるのだが、それが余計に何か効いているのではないか錯覚させるものがあり、快感になりつつある。


今日は Kindle寺田寅彦のエッセイをひとつ読んだ。「漫画と科学」というエッセイである。以前「科学者とあたま」というエッセイに感銘を受けて以来、苗字が自分と同じよしみもあって他のエッセイも読んでみたいと思っていた。青空文庫で大量に公開されていることに気づき早速 Kindle に入れたという経緯だ。

科学と漫画には似ているところがある、という意外で面白い論旨であった。漫画は、例えば人物の顔の特徴を分解し、その一部を誇張して描くことで、写実からは遠ざかっているにも関わらずむしろ特徴を捉え真実を映し出す効果を持つ。同様に科学も、例えば放物運動では空気抵抗など興味の対象ではないものの効果を除去してシンプルな方程式として取り出すことにより、現実からは遠ざかっているにも関わらず返って真実に近づくことに成功している、というわけだ。


今日は少し書きすぎた。こんなペースではまた日記が続かなくなってしまう。明日はもっと短く気楽に書こう。