オトナはダークサイド

後輩たちと飲んできた。酒が増幅させた今の気持ちを、酔いに任せて書く。これは職場の「コドモ」たちへ向けた応援歌のつもりだ。


僕はオトナから常に言われてきた。「もっとオトナになれ」と。

逆にオトナたちに言い返したい。「もっとコドモになれ」と。

オトナになれ、という真意は、大人しくなれ、という意味だ。オトナになって、今の苦しみにじっと耐えれば、その先にはいいことがある、という意味だ。

でも多分、大人しくなってもいいことは来ない。今はそういう時代なんじゃないの?

もっとコドモになるべきだ。もっとコドモっぽく、未来の空想に夢中になるべきだ。そのコドモっぽさがビジョンを作る。そのコドモっぽさが未来を作る。大人しくなっちゃダメだ。

もっとコドモになるべきだ。もっとコドモっぽく、売られた喧嘩は買うべきだ。部下が不満を言ってきたら、コドモっぽく本気で反論するべきだ。きっとその議論がビジョンを作るはず。その議論が未来を作るはず。大人になって議論を逃げちゃダメだ。

中島みゆき「ファイト」という歌に、こういう歌詞がある。

ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの眼が年をとる
悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる

コドモたちに告ぐ。「ガキのくせに」と言われようが、それでオトナになっちゃいけない。これはとても不幸な「オトナになる道」だ。なんとしてもコドモのままでいて欲しい。それが一番の抵抗だ。

オトナたちに告ぐ。「ガキのくせに」と頬を打つのは最低だ。頬を打つなら、本気で反論して頬を打つべきだ。「ガキのくせに」の一言で本気から逃げるのは、最低の行為だ。

僕はかつて「ガキのくせに」と頬を打たれて、危うくオトナになりそうになった。相手にその自覚があったかは疑問だが、少なくとも自分は「ガキのくせに」というメッセージを感じ取った。でも何とかコドモに踏みとどまった。そうして今の自分があると思っている。

人は放っておけばオトナになってしまう。コドモであり続けるほうがよっぽど難しい。あっさりとオトナになってしまった人たちはいつもこういう。「もっとオトナになれ」と。

それはダークサイドだ。むしろコドモを失っちゃいけないんだ。コドモっぽく、ワガママを通すそのスピリットが、きっとこの閉塞感を突き破るはず。僕はそう信じる。


・・・酔ってブログを書くと後悔するらしい。たぶん僕も後悔することになるだろう。