「お主、できるな」

日経ビジネスに載っていた上野千鶴子氏の言葉。

よくこんな例え話をします。お互いにつばぜり合いをやって、自分と互角ぐらいの力量の持ち主にさっとにじり寄られて耳元で一言、「お主、できるな」。これが恐らく男たちにとっては最高の瞬間です。これが効くんですね。どうですか、思い当たるでしょう。

・・・はい、思い当たります(笑。
氏曰く、

伝統的に女は、男に選ばれることでアイデンティティを確保しているけれど、男は男に評価されることで初めてアイデンティティを保っているのではないでしょうか。

ちょっと物議を醸しそうな意見だね。少なくとも、すべての男性/女性に当てはまるというわけではないだろう。でも、仮説として男性/女性にはそのような傾向がある、と考えてみるのは面白い。

よく痛いニュースなんかで見る光景なんだけど、「結婚相手の最低条件は年収2000万以上」などとのたもうた30過ぎの女性が袋叩きにされているね。もしかして、その女性の意識としては、給料でいえば年収2000万以上の上級の男から認められたい、それが自分のアイデンティティ、という感じなのだろうか。つまり男性に対する理想の高さは、人間だったら誰もが持っている「誰かに認められたい」という承認欲求の表れであって、少なくとも一部の女性はその欲求が男性に向けられる、と。

上野氏の言に従うならば、こういった女性に対する批判として「男性が女性に求めるもの」を持ち出しても意味がないのだろう。男性の承認欲求は男性に向けられるのだから。そうではなくて、「男性が男性に求めるもの」を考えなくては意味がないわけだ。男はどんな男から認められたいのか。

つまり、次のような男はいるだろうか。年収2000万以上のクラスの男とつばぜり合いをやって認められたい、という男。そういう上級クラスの男から耳元で「お主、できるな」と言われてみたいと思っている男。うん、そういう男って、結構いそうな気がするなぁ。

いや、まあ自分としては、力量のものさしとして年収を持ち出されるとちょっとなー、という気はする。でも例えば技術者であれば、自分と同じくらいかあるいはそれ以上の力量の技術者と激しく議論を交わし、互いの力量を認め合いながら一つのプロジェクトを共に進めてみたい、という欲求はあるだろう。あるいは、ビジョンのある有能な顧客の高い要求に応えて、互いに力量を認め合いながらプロジェクトを成功に導いてみたい、という欲求はあるだろう。

そう考えると、急に件の女性の気持ちが分かったような気になってくるから不思議だ。・・・いやいやいや、これが大いなる勘違いの始まりですかね。