美容師さんのハサミは10万円

髪を切ってもらいながら美容師さんと雑談した。

美容師さんは、ハサミは自分で買うのだそうだ。仕事で使う道具であるけれど、会社は一銭たりともだしてくれないらしい。ハサミを買ってくれる会社なんて聞いたことがないと言っていた。

そのハサミの値段だけれど、手ごろなところで5〜6万円、いいものは10万円を超えるらしい。


僕「えーっ?ハサミで10万円!?高いのと安いのって、何が違うんですか?」
美容師さん「うーん、なんていうのかな・・・、やっぱ、持ったときの感触ですかね」
僕「違いが分かるんですか?」
美「分かりますね!全然違います。2〜3万の安っぽいのは、持っただけで分かりますよ。」


この手の話は、僕は結構好きである。こういう職人っぽい話というか、人の道具に対するこだわりみたいな話に弱い。職人さんは素人には分からない繊細な感覚を手先に備えているわけで、そういう繊細な感覚に応えてくれる繊細な道具を求めている。一方、そういう美容師さんの繊細な要求に応えようと一生懸命ハサミを作っている職人さんもいるわけだ。


僕「具体的に、どこがどう違うんですか?」
美「安いのは重さのバランスが悪いですねぇ。それから・・・、いいヤツは形に繊細な工夫があるんですよ」


そういいながら、美容師さんは自分の使っているハサミを見せてくれた。指を通す取っ手の部分に、非常に繊細なカーブがあった。言われなければ気づかない程度の緩やかで繊細な窪み。


美「この窪みはね、ハサミをこういう向きで扱うときに、ちょうどうま〜く指の形にフィットするんですよね」


自分の道具を語る美容師さんは、心なしかちょっと嬉しそうだった。

ハサミを買うときは、色を指定したりパーツを指定したりと、自分仕様にカスタマイズして注文するそうだ。店頭で買ってそのまま持ち帰る、というものではないらしい。セミオーダー品なのだ。

ハサミなんて大量生産できる安いものだと思い込んでいたけれど、意外や意外、プロが使うハサミは多品種少量生産なのだ。一口にハサミといっても、その辺の文房具店で売っている普通ハサミと美容師さんが使うハサミでは、文化も設計手順も生産手順も流通手段も、何もかもが違うのだろう。


僕は3次元CADの開発をしているので、こういうモノ(人工物)の形は結構気になる。つい、このハサミはCADで設計できるだろうか、などと考えてしまう。

CADで形が表現できるだろうか、という問いなら簡単だ。可能である。

しかし、設計できるだろうか、という問いは難しい。形が表現できれば設計できる、というものではない。ハサミをデザインする人は何を考えてどんなプロセスを踏むのだろう。コンピュータの画面でそれができるだろうか。コンピュータでは重量感は伝わってこない。質感も難しい。ハサミをちょきんと動かしたときの手に伝わる感触なんかは、実物がないと絶対に分からない。

それでも、と思う。

それでも、僕はこういう分野を狙ってみたい。こういう、職人さんの手業の世界にコンピュータを持ち込んでみたい。難しいことは分かっているけれど。


それなりにCADには関わってきているので、多少は勘が働くところもある。

それは、ハサミを設計するためには、ハサミを握る手が設計できなくてはならないだろうということ。

ハサミの形を設計している人は、実はハサミを握る手を設計しているはずだ。ここの取っ手をこう窪ませたら、それを握る指はどう収まるだろうか。こういう風にハサミを扱ったときに、指にはどんな負荷がかかるだろうか。そういうことを考えながらデザインするに違いない。ハサミという道具を介して、美容師さんの手をデザインしているに違いない。

設計とはそういうものだろうなと思う。ボトルをデザインするということはそのボトルに収まる水をデザインすることになる。靴をデザインするということはそこに収まる足をデザインすることになる。何かを設計するということは、その何かとその周りとの関わり合いをデザインするということなんだと思う。

そんなことを考えながら、美容院から帰った。