今日はTwitterで「普通に美味しい」の意味が話題になった。紹介してもらった下記の記事がナカナカに面白いものであった。

いまや既に「普通」の意見などというものは、なんらかの前提を否定する形でしかあり得ないという認識だ。そこでは、流行語だから、あるいは、言葉が乱れているから「普通に〜」などという言い回しを用いているわけではない。そうせざるを得ない社会的な前提があるから、そういう言い回しで物事を評価しているのだ。つまり、端的に「普通」なものなどないから、あえて「普通」なものを見いださねばならないのだ。

「普通においしい」という言い回しは、「日本語の乱れ」あるいはそれを否定する議論とは無縁である - Kentaro Kuribayashi's blog

僕も「普通に〜」は使っていると思う。多分その理由は、一種の予防線なのだと思う。迂闊に「あの店は美味しいよ」などと人に言おうものなら、グルメ番組でレポーターが大げさに美味しいと騒ぎ立てるように美味しいのかと勘違いされて「期待したほどじゃなかったぞ」などとお叱りを受けかねないのでその予防線として「普通に〜」と言うのである。
それから、たぶん、普通に美味しいのではなくて美味しいのが普通になったのだ。どの店で何を食べても大抵は美味しいと僕は思っている。そういう意味では幸せな国、幸せな時代に生きているんだと思う。たぶん昔は、美味しいことが普通ではない時代があったのだ。そういう時代には「普通に美味しい」という表現などあろうはずがない。しかし僕たちは何を食べても美味しい世界に生きている。だから「普通に美味しい」という表現を僕たちは普通に使うのだ。