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今朝は会社へ行く前に、妻と一緒に子供を連れて区の保健センターへ。長女の身長・体重は平均から比べてかなり小さく、そうはいってもそれほど心配するほどではあるまいと思いつつも、まあ一度は保健センターへ相談に行ってみようかということになったのである。
娘の身長と体重は成長曲線の帯の一番下(たぶん2σの線)ギリギリを這っている状態。100人を背の順に並べたら前から3〜5番目くらいだろうか。保健士さんによれば、確かに小さいのだが病的に小さいというわけでもなく、食生活も生活習慣も問題ないのでまずは見守っていけば良いのではということであった。まあ予想通りのアドバイスであったが、それでもそう言ってもらえるとなんとなく安心できるものだ。
Kindle で中島敦の「李陵」を読み始めた(青空文庫は素晴らしい)。「名人伝」や「山月記」は読んだことがあったが「李陵」は読んだことがなかった。中ほどまで読み進んだが、なかなかに面白い。恥ずかしながら日本語の教養に乏しく中島敦の文章はすんなりと理解できないところもあるのだけれど、分からずとも読んだ時のリズム感は脳に響き心地よい。
実は名人伝は結構好きで、李陵を読み始めるに先立って名人伝ももう一度読んでしまった。硬い文体でありながらリズム感が良く、内容には可笑しみがあり、でありながら示唆に富むところもあるように思える。分野を問わず何らかの技術、技芸を磨いている人にとっては何か感ずるところのあるお話ではないかと思う。技を極めるとはどういうことなのか。身体知とはどういうものなのか。名人は、賞賛を受けつつも、異常に極端で、理解し難く、どこか滑稽でもある。
「不射の射」で弓を離れ、最終的に弓を忘れた名人の姿を、中島敦は肯定的に捉えていたのか、それとも批判的に捉えていたのか、はたまたどちらでもないのか。僕にはよく分からないし、分からなくてもいい気もしている。名人になってみなければ答えは分からないように思うし、名人になってしまえばそんなことはどうでもよくなるだろうとも思うし、どうやら僕が何かの名人になれることはこの先ありそうにないと思う。