Make it happen ではなく Let it happen

とある本で Let it happen という興味深い言葉に出会ったので久しぶりにブログを更新してみる。その本は繰り返し "Let it happen" と言う。つまり起こるままに任せよという。疑心に駆られて強引に Make it happen しようとするな、という。
なんと、テニスの本である。

新インナーゲーム (インナーシリーズ)

新インナーゲーム (インナーシリーズ)

おっと、「俺テニス興味ねーし」とページを閉じようとしているそこのアナタ、もうちょっと待って欲しい。なんだかこの本は不思議な本なのである。テニスの本なのに、まるでテニスのことではないようなことが書かれている。
この本は「道」のようであり、人生論のようであり、マネジメントにも応用できそうであり、子育ての参考にもなりそうである。その象徴と感じたのが冒頭の "Let it happen" という言葉である。

タイトルについて

まず本書のサブタイトル「心で勝つ!集中の科学」について一つ言いたい。敢えて言おうカスであると。センスのない余計なサブタイトルで誤解をまねくこと著しい。この本は心で勝つためも本でもないし、集中の科学でもない。というか、「心で勝つ」とか「集中の科学」とか意味分からんだいたい科学とはどういうことだ編集者ちょっと出てこい一体本書のどこに科学が書かれているのかと小一時間(ry
次に、タイトルの「インナーゲーム」について。直訳すれば内側のゲーム、内なるゲームである。いわゆる普通のテニスの試合がアウターゲームであるのに対して、プレーヤーの内側で行われている葛藤がインナーゲームである。このインナーゲームをうまくやることがテニス上達のキーであると著者は言う。
こう書くとサブタイトルの「心で勝つ!」はあながち間違いではないと思われそうなので補足しておこう。まずインナー(内側)とは心だけを指すのではなく、身体も含まれている。次に、本書はむしろ心を引っ込めて身体を信頼しなさいと述べており、つまり心で勝とうとするなと言っているのである。さらには、本書後半で語られる著者の人生観からは必ずしも勝つことだけがテニスの目的ではないという価値観が伝わってくる。

セルフ1とセルフ2

「私」とは何だろうか。自我や意識が「私」なのだろうか。あるいは肉体が「私」なのだろうか。
本書では「私」をセルフ1とセルフ2という二つの「私」に分解している。セルフ1は自我であり、セルフ2は体を含めた自我以外の部分を指す。セルフ1は大脳新皮質でセルフ2はそれ以外と言ってもいいかもしれない。このセルフ1とセルフ2の葛藤がインナーゲームである。
実は僕は数年前に趣味でテニスを始めたのだけれど、ゲームになると途端に調子が出なくなるタイプで困ったのが本書を購入した動機だ。いわゆる典型的な本番に弱いタイプでまことに自分が情けない。ゲームになると途端にイージーストロークショットにも失敗し、ボールをラケットの芯で捉えられなくなる。練習通りに打てない自分に苛立ち、次こそは力んで返って体が硬くなってしまい、考えれば考えるほどショットの調子がおかしくなる。そしてフラストレーションを抱えたままコートを去るのだ。
そう、まさに僕はインナーゲームに負けていたのであった。ショットを失敗するたびにセルフ1が苛立つ。苛立ったセルフ1はセルフ2を疑い、叱りつけ、コントロールしようとする。そのセルフ1の苛立ちがますますセルフ2を硬直させることになり、さらにショットは崩れていく。
本書は言う。セルフ1は静かにせよ。セルフ2を信頼せよ。セルフ1でラケットを振るな、セルフ2が自然に振るのに任せよ。Make it happen しようとするな、Let it happen で良い。
何だか弓道の言葉のようだと思った。昔「矢は放つのではありません、自然に放たれるのを待つのです」みたいな言葉を聞いたことがあったからだ。その時はわけ分からんと思っていたが、本書を読んで腑に落ちた感じがする。こういう日本的な(と思っていた)精神性をまさか欧米人の著した本から学ぶことになるとは思いもよらなかった。

応用(?)

勝手に応用していいのか、その判断は読者に任せる。ただ、本書の主張はつい無関係の分野にも応用して考えてみたくなる魅力に満ちている。
例えばプロジェクトマネジメント。セルフ1をマネージャのリーダーシップ、セルフ2をチームメンバーに置き換えて本書の主張を読み返してみよう。つまりこうなる:マネージャは静かにせよ、チームメンバーを信頼せよ。リーダーシップでプロジェクトを進めようとするな、チームが自然と動くに任せよ。Make it happen しようとするな、Let it happen で良い。
子育てはどうだろう。セルフ1を親、セルフ2を子供に置き換えてみると次のようになる。親は静かに見守れ、わが子を信頼せよ。親が強引にしつけようとするな、子が自然と育つに任せよ。Make it happen しようとするな、Let it happen で良い。
Let it happen とは、決して無関心に放任することではない。英語は得意ではないが、僕が Let という単語から感じるニュアンスは放任とも無関心とも違う。多大な関心を寄せつつ、手出しをせずに外から見守るようなニュアンスを感じる。これが「信頼する」ということではないだろうか。


自身を振り返ってみて、反省するところは多い。僕はいつも Make it happen しようとして、ぶつかり、苛立つことが多かった。過去を悔い、未来を憂えて、「今ここ」に集中することが下手だった。すべてを自分でコントロールしようとし、コントロールしきれない自分に苛立った。逆にコントロール出来たときはすべてが自分の手柄であるかのように天狗になり、自我を肥大化させてきた。
もちろん、本を読んだくらいで簡単に Let it happen は出来ないだろう。これからも僕の自我はトラブルを起こし続けるだろう。それでも幾許かのヒントを本書からもらったような気がしている。しばらくは "Let it happen" が僕のテーマになりそうだ。