複素世界

複素数」ってのがあるよね。実数と虚数の線形和。complex number。
虚数」ってのがまた不名誉なネーミングだ。英語にすると imaginary number。想像上の数。
実数君が虚数君を揶揄している姿を想像してしまう。
「ねえ、虚数君。数ってのはさ、僕みたいな実体があるもののことを言うんだよ。君なんて、方程式の解を無理やり解くために便宜上作られた想像上の存在に過ぎないじゃないか。」
・・・なんだかライブドアが「虚業」と揶揄されたあの事件を思い出すね。

しかし大数学者ガウスによる複素平面の登場によって、虚数から「虚」なイメージは拭い去られ、実体のある数としての扱いを受けるようになった。・・・なんて話をどこかで読んだ。うろ覚えだが。
このエピソードを読んだときは、「数が『在る』という感覚って、何なんだろなー」などと考えたものだ。僕も初めて「負の数の平方根」などと聞いたときは「なんだそりゃ?意味あんの?」と思ったよ。しかし複素平面を習ったことで複素数が平面上の点と認識出来るようになり、さらに流体力学で、電気回路で、量子力学で、と様々な分野で複素数が利用される場面に出会うと徐々に虚数も『在る』ような気がしてくる。と同時に、ε-δだとか連続体濃度だとかを知るにつれて実数の『在る』という感覚に自信がなくなってきて、「数ってなんだろなー」という素朴なギモンは常に付きまとう。


閑話休題
virtual という単語がある。日本語ではよく「仮想」と訳されるけど、これって殆ど誤訳だよね。本当の意味は「実質上の、事実上の、実際上の、実質的な」。だから "virtual reality" は「事実上の現実」。"virtual function" は「事実上の関数」。"virtual memory" は「事実上のメモリ」。
虚数も imginary number じゃなくて virtual number と呼べば面白いのに。
さてここからは、"virtual" と書いたら本来の「実質上の、事実上の」という意味、「バーチャル」と書いたら誤訳の「仮想の」という意味だと受け取って欲しい。
電脳コイル」というアニメがあった。「電脳メガネ」という特殊なメガネをかけると電脳世界が見えるという設定。子供たちにとってはその世界は virtual だったけど、大人たちにとってはそれはバーチャルな世界でしかなかった。
面白いと思ったのは、子供たちにとっては電脳物質とか電脳生物は『在る』ものだったのに、大人にとってはそれらは『虚』でしかなかったという点だ。『在る』と感じるその感覚、『虚』と感じるその感覚は、一体どこから来るものなんだろう。


お金に価値は『在る』と感じる?
「欲しいものと交換できるのだから価値はある」という頭での理解を聞いているんじゃないよ。実感として感じるかどうか。
僕は数百万の札束を見たら多分心臓がドキドキする。多分脈拍が上がる。だから札束には価値が『在る』と感じていると思う。札束自体は本来ただの紙のはずなのに、実質的な価値が『在る』と感じる。virtual な存在。バーチャルではない。
でもATMに表示される口座残高とかスイカみたいな電子マネーとかだと、札束ほど『在る』という感覚はない。この時点でたぶん、僕はオールドタイプなんだろうな。


あなたにとって、グッチやシャネルのブランドはvirtual?それともバーチャル?
ベンツやフェラーリはvirtual?それともバーチャル?
億単位の値段がつく現代アートはvirtual?それともバーチャル?
顔を合わせたこともない「メル友」はvirtual?それともバーチャル?
初音ミクの歌声はvirtual?それともバーチャル?
ラブプラスの「彼女」はvirtual?それともバーチャル?


この世は複素世界だ。XYZの空間軸と並行して様々な virtual 軸が存在している。僕たちは同じ世界に住んでいるように見えて、実はぜんぜん違う virtual 軸で生きている。わずかに共有しているXYZ空間で一瞬すれ違うことしかできず、他人の住んでいる virtual 軸は自分にはバーチャルにしか見えない。


ケータイゲームの2000円の釣竿はvirtual?それともバーチャル?