「自分がもう一人いればいいのに」

僕の脳がまたあの病気に侵され始めたようだ。病名は仮にJMHと名付けよう。「(J)自分が(M)もう(H)一人いればいいのに」の略称だ。

このJMHはストレスを喰って肥大化する。「忙しい」という思念が大好物のようだ。時間に追われてバタバタしていると気づかぬうちにこの病が進行し、自分の無意識が支配される。「自分がもう一人いればいいのに」という思考から抜け出せなくなる。

自分がもう一人いるならばプロジェクトのコンセプトを伝える必要もない。タスクの優先順位も分かってくれる。進捗に苛立つこともない。コミュニケーションも以心伝心。何のストレスもなく、ただ自分の仕事が2倍の速度で進行する。ああ、素晴らしい。しばし現実から逃避し、そんな甘美な夢想に酔いしれる。

場合によっては、このJMHという病は別の症状を示す。

あるときは「魔法の部屋があればいいのに」と夢想する。部屋の中で二日経っても外に戻ると一日しか経っていないという、まさに精神と時の部屋。そんな部屋にしばらく篭ればこの仕事も終わるのに。

また別のときは「変身」を夢想する。明日の朝になると何故か自分が底なしの集中力を持つパワフルな男に変身していて、無駄なネットサーフィンで時間を潰すことなく驚異的な集中力を深夜まで持続させ普段の倍以上の仕事量をこなせるのではないか、という妄想。

いずれにせよそのような妄想が現実になることなどない。つかの間の現実逃避に過ぎない。

だがこの病に自覚的になれれば得るものはある。症状を分析することで自分がいったいどんな「現実」から逃避しようとしているのかが見えてくる。

メンバーにプロジェクトの目的やコンセプトをしっかりと伝えることを怠っているのかもしれない。タスクの優先順位を明示してメンバーに提示できていないのかもしれない。勝手に伝わることを期待していて、きちんと伝えることを怠っているのかもしれない。

いや、そんな生ぬるいことではない。JMHとはつまり、自分より劣った人間とも優れた人間とも仕事をしたくないと思っているということだ。これに気づくと己の醜さに愕然とする。猫の手も借りたいなどと云いつつ猫の手を借りる気はさらさらなく、かといって自分より優れた人間にあっさり仕事を片付けられるのも面白くない。そうではなく「自分」と仕事をしたいのだ。なんと醜い思考であることか。

しかも、「自分がもう一人いればいいのに」と思うことはあっても、他人(例えばX君)を見て「X君がもう一人いればいいのに」などとは絶対に思わない。他人を見てその彼がもう一人いればいいと思うことはまずないのだ。逆に言えば、他人が客観的に僕を見て、僕がもう一人いればいいのになどと思ってくれることは有り得ない。そして、こういうのは客観的な判断の方が正しいに決まっている。同じ人間が二人いたって面白くもなんとも無いのだ。違う人間が互いの欠点を補い合いながら協力するときにこそ成果は上がるものだ。

つまりは、僕は自分と違う人間に向きあうことから逃避しているのだろう。

JMHは手強い。気づかぬうちに意識の隙間に入り込み、駆除するのはゴキブリよりも難しい。それでも、頭を整理してJMHは妄想に過ぎないと冷静に理解すれば、少しだけ脳から追い出せるような気がしている。