「帰納と演繹」の補足のような訂正のような反省のようなもの
ホッテントリの経験はあるとはいえまぐれ当たりが数回あっただけだし、最近はすっかり過疎ってたので急にブクマされてビビりまくり。居酒屋で適当なことを喋ってたら突然店中の客が立ち上がって「面白い」とか「それは違う」とか言い出した感じ。ひえ〜、ここは居酒屋じゃなかったインターネットでした、ごめんなさい。
でも色々とフィードバックいただけて勉強になりました。恥ずかしながら「アブダクション」って知らなかったし。この場を借りて御礼申し上げます。それと共に、コメント欄に一つ一つは答えきれなくなってきたので、ここにまとめて返答ということでお赦しください。
帰納と演繹という言葉の使い方が間違ってたようです
頂いたコメントをまとめると、概ね「言わんとすることは分からんでもないけどそれって帰納とか演繹じゃなくね?」といったものが多い印象。そこで慌てて今さらのようにネットで帰納と演繹を検索したりして考えなおしてみた。
うーん、これは確かに僕が間違ってますね・・・、申し訳ありません。
じゃあ帰納と演繹とは何かをちゃんと理解したの?と問い詰められると、正直なところ考えれば考えるほど分からなくなって来たのだけれど・・・orz。そもそも帰納と演繹って思考法ではないのかな。思考法ではなくて論法、つまり論じる方法。
人の思考は急に飛んだり分散したり蛇行したりしながら進むものであって、直線的に思考するわけじゃない。だから思考の流れ自体を帰納とか演繹で説明すること自体が間違っていたような気がする。そうではなくて、思考の結果を何らかの資料として説得力のある形にまとめ上げる時に、帰納とか演繹といった論法が役に立つ。ということではないかしら。
帰納と演繹が逆?
コメント欄で立て続けに「帰納と演繹が逆では?」との指摘を受けた。そもそも帰納と演繹の言葉の使い方に間違いがあったので、この時点で逆かどうかなんてナンセンスな問いかもしれないけれど、考えてみた。
まず僕の帰納と演繹に対する理解を書くと
- 帰納: 複数の事実から背後の一般則を推論すること
- 演繹: 一般則を組み合わせて別の事実を推論すること
ここから想起していたイメージは、
ところが、下記のエントリに描かれている図は僕のイメージと向きが逆!
http://blog.goo.ne.jp/globalsciencejournalist/e/f5b40dffa3de9b0c8a5d625922a6169a
最初は大混乱したのだけれど、やっと分かった。推論する時と違って、何かを主張したい時には次の順序になるのではないか。
- 帰納法で主張するとき: 主張したい一つの原則(目的)が複数の事実(手段)に当てはまっていることを示す
- 演繹法で主張するとき: 複数の原則(手段)がことごとく主張したい一つの事実(目的)を指し示していることを示す
つまり、何かを推論する時と、その推論が正しいことを主張するときでは、論理の流れが逆になるのではないだろうか。コメントを書いていただいた方と僕との間でここにズレがあったために、「逆ではないか」という指摘を受けたんじゃないかと思う。
帰納/演繹じゃないなら何が言いたかったの?
まず直観として、思考の「向き」が違う人がいる気がするなーと感じていた。これはつまり、因果関係のツリー構造を探索する際に、原因から結果に向かって論理を展開するのが得意な人と、結果を見て原因を推定するのが得意な人がいる、ということではないかと考えた。
(エントリを書いた時点での僕の理解では)演繹法は原因から結果を推論していく手法であり、帰納法は結果から原因を推定する手法と理解していた。従って、思考の向きが演繹的な人と帰納的な人がいるのかなー、と考えた。そう、ここで僕は一つ間違いを犯している。「結果から原因を推定する」のと「結果から原因となる原則を推定する」のは似ているようで違う。帰納法は後者だが、前者は帰納法とは言えないのだと思う。
ここからが決定的に不味かった気がするのだが・・・。さらに「結果から原因を推定するのが得意な人などうして得意なんだろう」と考えて、そこから「経験を蓄積されたことで原因を探る推論エンジンが優秀になったから」だろうと予測した。これを帰納的な人と書いてしまったのが決定的に間違っていたと思う。ここまで来ると帰納法とは何の関係もないよね・・・orz。
でも書きたかったのはそういうこと。自分とあの人は何か思考の「向き」が違うなーって感じたことないですか、という問いかけがしたかった。
なんで急にこんなブクマされたんだろ?
ブクマコメントを見ると
- 面白いと感じてくれた人
- 間違っているところにツッコミを入れてくれた人
の2種類がいるように見える。ここから、
- 頷けるところはあるもののツッコミどころもあるエントリはブクマが伸びる
という原則が推論できる。この原則を主張するためには
- 多くの事例を集めてこの原則で説明できることを示す
必要がある。
これが帰納法である。(合ってる?