もうひとつのアバター

今さらながら「アバター」をDVDでレンタルして観た。3Dを生業にしてるくせに、恥ずかしながら映画館での立体視は体験していない。

受けた印象は、事前に見聞きしていた巷の感想と同じものだ。映像は圧巻だったが、ストーリーは手垢にまみれたものだった。

もし本当にパンドラという星があったらどうなるだろう。もし本当にナヴィという種族が生活していて、そこに人間が入り込んだとしたらどうなるだろう。ああいうストーリーにはなるまい。

ここでは思考実験として「もうひとつのアバター」のストーリーを妄想してみる。映画にしても絶対に面白くならないストーリーだ。

まず、人類はそんなに攻撃的ではないはずだ。主人公ジェイクは、軍からの情報収集の命令など受けることなく、全面的に支援を受けて親善大使としてナヴィのもとへ向かうだろう。想像して欲しい。仮にNASAが宇宙人とコンタクトしたとして、いきなり軍が攻撃的な行動を起こすだろうか。現代の国際社会ではそれはありえない行動だと思う。

では逆に、ナヴィ側が極端な拒否反応を示して人類を攻撃するだろうか。その可能性はある。でも、ゲーム理論の見地から見ても、ただ外部の存在を攻撃するだけの凶暴な種は進化の過程で淘汰されてしまうはずだ。他者と協力するという遺伝子を持った種でないと存続することはないだろう。これは地球上の生物に限った話ではない。だからナヴィも友好的な他者とは親交を結ぼうとする可能性は十分にある。ここでは、ナヴィはジェイクの勇気と誠意に応え、人類との親交に向かって一歩踏み出したとしよう。

さて、人類とナヴィの間には文明に差がある。人類の方が遥かに高度な文明と軍事力を持っている。一方でパンドラ星には貴重な地下資源がある。人類は欲望にかられてこの地下資源を力ずくで奪おうとするだろうか。

ここで経済学者が登場する。経済学者は政治家に交易を勧めるだろう。彼らは云う。「確かに文明は我々の方が優れています。ナヴィと比べて人類の文明は絶対優位であるといえるでしょう。しかし比較優位の原理に従えば、交易は我々人類にも彼らナヴィにも大きな益をもたらすはずです。交易するべきです。」

交易となれば民間企業の登場だ。商売の基本は Win-Win の関係である。勝間勝代女史ならきっとナヴィとうまく Win-Win の関係を築くだろう(見た目もちょっとナヴィと似ているし)。つまり、ただ奪うのではなく、Give and Take の関係を築くだろう。ジェイクが気づいた信頼を元に、徐々に信頼関係を広げていき、契約を結ぶようになるだろう。

するとどうなるか。ナヴィの社会に貨幣経済が導入されるだろう。ナヴィはその強靭な身体の優位性を活かした職につくだろう。そしてナヴィは、安定した生活と、娯楽と、酒を得るだろう。

かくしてパンドラ星にはマクドナルドとセブンイレブンが立ち並び、トヨタ車が走り、ナヴィたちはiPhoneで電話をしたりメールをしたりするようになるはずだ。地球からは観光客が押し寄せ、ナヴィたちと一緒に写真を撮って大はしゃぎして帰っていくはずだ。ナヴィたちはいつしか狩りを忘れ、自然への畏怖を忘れ、エイワを忘れてしまうだろう。そして自ら森林を伐採しゴルフ場を建設するようになるだろう。

さて、果たしてこのストーリーに悪人は登場しただろうか。

これが今、世界で起きていることではないのか、と思う。以前オーストラリアに旅行した際、現地で聞いたアボリジニの状況も似たようなものであった。僕は文明社会の恩恵を教授してジェット機でオーストラリアに渡り、そういった悲しい現実のお話を、さも分かったふうな顔をしてしたり顔で聞いてきたのだ。そういった悲しいお話を、ただ「消費」しただけで帰ってきた単なる観光客であった。自分も蹂躙する側に加担したということなのだろう。

もう植民地時代は終わった。奴隷制度も終わった。人類は曲がりなりにも一歩進んで、ただ奪うだけの時代は超えたようにも思える。略奪を反省した映画も既にたくさん作られている。今この時代にアバターのような二番煎じの映画を作ることは、安全なところから過去の人達が犯した過ちを笑っているに過ぎないのではないか。自然破壊や人種差別問題を扱った作品と云われているが、本当に今、現在進行形で起こっている問題を真正面から扱った作品と云えるのだろうか。

・・・もちろん、そんなことはどーでもいいと思えるくらい映像は素晴らしかったのだが。やはり映画館で3D映像を体験しておくべきだった、残念。