「お客様は神様」とか、秦の宦官・趙高とか
宗教における権力の源泉としては、次のパターンが一つの典型例だと思う。
- 素晴らしい神がいる
- その神の言葉を伝えられるのは私(教祖)だけ
- だから私の言葉は神の言葉だと思って聞け
先日、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読んだ。その冒頭で秦の宦官・趙高の俗物ぶりが記述されている。その趙高が権力を掌握するに至った構造が宗教のそれと全く同じであった。
- 秦の始皇帝は宮殿の奥に引きこもるようになった
- 直接会って話すのは、身の回りの世話係たる宦官の趙高のみとなった
- すなわち、始皇帝の言葉を伝えられるのは趙高のみ
- だから私(趙高)の言葉は始皇帝の言葉だと思って聞け
さて、近年では「お客様は神様」という言葉の評判はすこぶる悪いようだ。その理由の一つとして、一部の人々(経営者、営業担当、etc)が次のような態度をとったからかもしれない。
- お客様は神様だ
- その神の言葉を伝えられるのは私だけ
- だから私の言葉は神の言葉だと思って聞け
もしかすると、IT業界や建設業界に見られる多重下請構造も同じような構図なのかもしれない。
- 顧客企業は神様だ
- その神の言葉を伝えられるのは我が社(元請け)だけ
- だから元請けの言葉は神の言葉だと思って聞け
・・・ちと極端か。
まあそれはともかく、言うなればこれは「虎の威を借る狐」であって、その虎を背後に隠し神格化することでますます権力を強めていく、という構造にはある程度の普遍性があるように思う。
自分にも、お客さんの言葉をメンバーに伝える機会がある。知らず知らずこのダークサイドに陥らないように気をつけたい。