技術の生態系

技術は進化する。

ここで、進化とは必ずしも進歩を意味しない。

進化は進歩ではない
進化(英:evolution)とは狭義には「時間の経過に伴う生物集団中における遺伝子頻度の変化」であって、進歩(英:progress)という概念とはまったく別のものである。地中で生活するモグラの目が退化していることも進化の結果であり、クジラの手足が退化していることも進化の結果である。また人間に尻尾がないのも進化の結果である。

進化 - Wikipedia

退化もまた進化の一つの形態だ。下記の記事では、技術の劣化を嘆き人材の育成を訴えているが、これとて進化の結果としての退化なのかもしれない。

技術は劣化する。このことを知るのは、技術開発に人生をかけてきた私たち技術者にとってつらい現実である。一生懸命支えてきた技術の分野が劣化していくのを目の前にして、何もできないのだ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090520/195285/

僕も技術者なので、著者の方の心情は理解できる。でもここではそこにはフォーカスしない。そういう心情的なものを離れて、技術が織り成す生態系と進化という視点で俯瞰するのも面白い。僕はそういう視点で眺めるのが好きだ。


生物とは、遺伝子の乗り物に過ぎない、という見方がある。遺伝子は自分自身のコピーを増やし種を存続させることが至上目的であり、生物(肉体)はその乗り物に過ぎないという考え方だ。一昔前に流行った小説「リング」では、ビデオテープの「コピー」がカギだった。瀬名秀明の「ブレインバレー」では、信仰の対象たる「神」は実は人類の脳に宿る生物で、布教活動は他者の脳に「神」のコピーを増やす行為だ、という考え方が展開されている。

「技術」も生物である、と考えてみるのも面白いかもしれない。

技術を残そうという動機はどこから生まれるのか。それは人の意思なのか、あるいは技術自身の意思なのか。もしかしたら技術者は、その技術が自身がコピーを増やすための乗り物に過ぎないのか。人が技術を広め残そうと活動するのは、その技術自身の意思に突き動かされているからなのか。様々な技術の栄枯盛衰は、こうした技術の生態系が織り成す激しい生存競争ではないのか。

そう考えてみれば、進化の過程で技術が退化することもあるだろう。自然淘汰の過程で徐々に勢力を失い、やがては絶滅してしまう技術もあるだろう。そして、絶滅を食い止めんとして技術の継承に力を注ぐ勢力が現れることも、生存本能の表れとして見ることができる。


さて、最適化計算の手法の一つに遺伝的アルゴリズムというのがある。かの菊川怜氏も卒業研究で用いたという、あの遺伝的アルゴリズムである。

遺伝的アルゴリズムでは、最適化対象の設計変数をコード化してこれを遺伝子(染色体)に見立てる。このコード化された設計変数に対する評価関数が、すなわち環境への適応度である。こうして定義された個体群が交叉と突然変異を繰り返せば、世代が進むにつれてその評価関数に適した種に進化する。十分進化が進んだのち、その遺伝子を(準)最適な設計変数として取り出そうというのが遺伝的アルゴリズムの概要である。

これはとても興味深い手法で、多くの人を(その実力以上に?)惹きつける。この手法が人を惹きつける理由の一つは、自分が「神の視点」に立てるからではないかと思う。自分の手で生態系をプログラムしてその進化過程を観察するという行為には、ある種の恍惚感が伴う気がする。自分がプログラムした生態系が徐々に最適解への収束していく様子にはいとおしさすら覚える。・・・マッドサイエンティストのそしりは免れないだろうが。

しかし、遺伝的アルゴリズムには大きな問題があると思う。それはパラメータのチューニングが面倒なことだ。この手法には「集団の個体数」「突然変異率」「交叉率」「世代数」などの多くのパラメータが存在し、そのパラメータ次第で進化の進み方が大きく変わる。大雑把に言えば、これらは「収束の速さ」と「大域性(局所解にはまるかどうか)」のトレードオフだ。例えば突然変異率を大きく設定すれば、より大域的なサーチが可能になる代わりに収束は遅くなる。気がつくとこのチューニング作業を延々と繰り返して時間をとられていることがある。

かのアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったが、僕は「神はパラメータチューニングなどしない」という迷言をここに残しておくことにしよう。


話を技術に戻すと。

思考実験として、遺伝的アルゴリズムの計算モデルの中に「技術」という個体群を入れてその進化を促す、という「神の視点」に立ってみよう。否、これは「政治家の視点」というべきかもしれない。彼ら政治家はきっと「国家をプログラムする」という神に似た視点に恍惚感を覚えているに違いないし、その恍惚感が透けて見えるとき僕らは嫌悪感を抱くのだろうが、まあそれは置いといて。

その神の視点に立ったとき、どんなパラメータを設定するのがいいんだろうか。

どうやら、アメリカという国では突然変異率が高く設定されているように思う。突然変異というのは大半が失敗であり、生まれた直後の殆どは死滅してしまう。しかしごく稀に大きく躍進する場合があり、生態系が大きく変わる。米国で次々とベンチャー企業が登場する様子を、そんな風に見立てるのはどうだろうか。

今、日本の技術の生態系は、その進化の結果として大きく偏っている。産業でいえば自動車産業に偏っているし、均質かつ高品質という方向に偏っているともいえる。もちろんこれは進化の結果であるし、今まではこれで大成功してきた。しかし最近では、評価関数が変わってきたのではないか。もうちょっと多様性が必要になってきているんじゃないか。

この場合、既存の産業や技術に拘泥することは局所解にはまり込んで抜け出せなくなることを意味する。今は突然変異率を上げて大域的にサーチするほうが正しい戦略なんじゃないかな、という気がする。


・・・と、まあよく言われているようなありきたりな結論になってしまったけれど、生態系とは遺伝的アルゴリズムの視点で考えてみるのも面白いかなと思ったので。どうでしょ?