もし対数目盛りのカレンダーがあれば、ストレスは半減するかもしれない

人は時間の流れを対数目盛りで捉えていると思う。これは僕の思いつきに過ぎないが、多くの人に納得してもらえる考え方だと思っている。

「今」を基準にして、人は「未来」「過去」をどんな風景で捉えているだろうか。

ごく近い未来や過去の風景は鮮明かつ詳細に捉えている。言い方を変えると、分解能が高い。例えば、今から一時間以内の行動計画を立てるならば、それは5分刻みとか10分刻み程度の詳細な計画表になるだろう。過去の記憶でも、一時間以内の記憶ならばかなり時間精度は高いはずだ。

逆に、遠い未来や遠い過去の像はあいまいだ。10年後のビジョンを考えるとき、それが9年後でも11年後でも大差はない。時間の分解能は年単位の非常に曖昧模糊としたものとなってしまう。

これは当然のことだ。人間の未来予測能力は、遠い未来になるに従って急速に精度が低下してしまう。「今」持っている判断材料で予測できる未来というのは、当然ながら先のことになるにつれて不鮮明になる。その不鮮明な未来の時間を、分解能の高い時間軸で捉えようとしても意味がないのだ。

こう考えていくと、時間の流れというのは実に「対数目盛り的」だと思えてこないだろうか。

未来予測の誤差は時間と共に指数関数的に増大するだろうから、逆に未来予測精度を基準に考えると時間軸は対数目盛りで捉えるべきなのだ。

ここまで考えると、現在広く使われているスケジュール表のフォーマットに不満が出てくる。大抵のスケジュール表やカレンダーというのは、時間単位あるいは日単位、週単位、月単位で均一に目盛りが打たれている。時間の捉え方がフラットなのだ。明日も来月も来年もみなフラットに扱われている。

時間に対する遠近感が欠落しているのだ。

おかしいと思わないだろうか?一年先のことなんて分かるはずがないのに、一年先までプロジェクトの詳細な計画を立てても意味がない。計画というのは未来予測じゃないのだ。未来のビジョンに向かうために、「今」何をするべきかを決めるためのツールなのだ。

紙に印刷された手帳ならば、カレンダーが均一な目盛りで表されるのは仕方がない。一度印刷されたものはダイナミックに表現を変えることは不可能だから。でも、ソフトウェアによるスケジュール表なら均一な目盛りに縛られる必要はないはずだ。常に「今」を基準として、未来の計画が対数目盛りで表示されるツールがあってもいいのではないか。時間に対する遠近感が効いたスケジュールツールがあってもいいのではないか。

これは極端な意見になるけれど、もし対数目盛りのスケジュールツールが開発されて、みんながそれを使うようになったら、それだけで現代社会のストレスが半分くらい軽減されるかも、などと妄想している。

例えば、上司に一ヶ月先までのスケジュールを提出したとしよう。現在広く使われている、均一な目盛りのスケジュールだ。もちろん、一ヶ月先のことまで詳細には分からないのだけれど、そんな先のことまで詳細には分からないと言ったところで上司は「提出しろ!」の一点張りだ。やむを得ずテキトーなスケジュールを提出することになる。「おいおい、いいのかよ、こんなテキトーなスケジュールで」などと思いつつも、この時点では本人にもそれほどプレッシャはない。

しかし、3週間くらい経つと、提出してしまったスケジュールが暴力的な精度で迫ってくる。どだい無理な時間分解能で作成したスケジュールだ、現実と合っているはずもない。本当に間に合うのだろうか。上司は自分が提出したスケジュール表を片手に、「自分が提出したスケジュールには責任を持て!」と言う。徹夜してでも頑張るしかない。頑張るしか・・・。

こんなストレスが、そこらじゅうで悲鳴が上げているように思う。その原因の一端は、「均一な目盛りのスケジュール表」というフォーマットの暴力にあるような気がするのだ。

しかし、対数目盛りのスケジュール表ならばどうか。時間の遠近感が効いたスケジュール表ならばどうか。そのスケジュール表は、作成した時点の「今」を基準としたスケジュール表であることがハッキリとする。「未来は曖昧である」という当然の事実がハッキリと表現されたフォーマットになる。時間が経つにつれて、スケジュールを軌道修正していく必要があるという当然の事実が、ハッキリと伝わるフォーマットになる。

誰か、対数目盛りのスケジュール管理ソフトを作ってくれないものだろうか。もちろん自分で作ってみようかとも考えたのだけれど、このソフトは僕の本業とは大きく異なるわけで、いつまで経ってもスケジュールソフトの開発の優先度が本業を上回る機会はやって来そうにない。それに、実際に動くソフトウェアとするためには、何かもう一つ二つブレークスルーとなるアイデアが必要であるような予感がして・・・。