イナゴの勘違い、誠意のすれ違い

僕は今、なんだか心がざわついている。泡立つような感じ。悲しいような、腹立たしいような、苛立つような、、、。


ある人が自宅の鍵をかけ忘れて、その隙に空き巣に入られてしまったとする。悪いのは誰か。
「そりゃ、鍵をかけ忘れた人が不用心だよ。自業自得だ。」そういう意見もあるだろう。僕も、ちょっとはそう思う。自衛は必要だ。
でももちろん、一番悪いのは空き巣に入った人だ。当たり前のことだ。当たり前すぎて、誰も言わない。「自業自得だ」という意見の人だって、盗人が一番悪いのは分かっているに決まっている。その上で、現実問題として社会にはある一定数の盗みを働くような輩がいるわけで、それを責めても目前の問題は解決しないのだから自衛は必要だ、と言っているに過ぎない。
ところが、その盗人本人が堂々と「不用心を気づかせるために俺が空き巣に入ってやったんだ。ありがたく思え。」などとほざいたとすれば、怒りを通り越して情けない気分になってくる。盗人猛々しいとはこのことだ。


今まで何度か、「炎上」という現象は目の当たりにしてきた。
だけれど、知人のブログが炎上する様子を目の当たりにしたのは初めてだ。
とても悲しい。


炎上を防ぎイナゴから身を守るには、どうやらイナゴに「誠意」で対応する必要があるようだ。例えば、悪意あるコメントを躍起になって消せば消すほど炎上するし、元の文章を安易に修正すると更なる炎上を呼び込んでしまう。元の文章に何らかの反省点があるならば、原文は残したまま誠意を持って謝罪と訂正のエントリを書き起こすのが妥当だったのかもしれない。誠意も知性もない罵倒コメントに対しても、誠意と知性を持って対応するという不条理な忍耐が必要だったのかもしれない。その点において、知人の対応はちょっと不味かったのかも、という気もする。

などと偉そうに書いてみたものの、仮に自分のブログが炎上してしまった場合に自分自身が冷静に対応できるかどうかは全く自信がない。感情で向かってこられたら、思わず感情で返してしまう可能性が高いだろう。僕は、割と感情的になりやすい性格だし。

ただ、これだけは強く言いたい。

悪いのはイナゴの方だ。ブログ主側に誠意が必要というのは、あくまで炎上を防ぐための自衛のノウハウであって、ブログ主に誠意を強要することが正義だと勘違いされては困る。現実問題として、インターネットにはしょーもないイナゴが多数生息しているのであって、この事実は如何ともしがたい。あるいは、人というものは、本来は善良な人でもふとしたタイミングや感情によってイナゴ的な言動を取ってしまうことがあるもので、この事実は如何ともしがたい。ならば苦渋の自衛策として、不条理な誠意もやむなし、ということなのだ。

感情的にコメントされたら、感情的に返してしまうのが普通なのだ。誠意を引き出したいと思うのならば、誠意を持ってコメントしなくてはダメだ。感情的なイナゴの罵倒コメントにも誠意で対応しなくてはならないなんて、不条理この上ない。不条理だけれど、炎上を防ぐ自衛策としてやむなし、というだけなのだ。

しかし、この苦渋の誠意を勘違いしている輩がいるのではないか。あからさまに感情を逆なでするような煽り方をし、コメント削除と原文改変をあげつらい、我こそが正義と勘違いしているのではないか。情けないというほかない。


改めて考えてみれば、この手の現象はブログ以外の場でも散見する。企業へのクレームという名の罵倒と、誠意というテクニックに基づいたクレーム対応。コンビニ店員への暴言と、誠意というマニュアルに従った対応。

どれも皆、イナゴの勘違い、誠意のすれ違いだ。


追記:
ちなみに、どうしてアレが炎上したのか、僕にはさっぱり分からない。炎上するような内容ではないと思う。むしろ共感できるところが多かったのだけれど。
インターネットは怖いところですね。