鶏と卵とイノベーション

この世にはイノベーションという言葉が溢れているのだけれど、残念ながらイノベーション自体はそれほど溢れてはいない。そりゃそうだ、イノベーションって、難しいもの。

経営誌を見ても、どこぞの会社の「わが社の使命は云々」みたいな文章を読んでも、猫も杓子も「イノベーション」を連呼している。「スイーツ(笑)」ってのが流行っている(いた)けれど、それに合わせて「イノベーション(笑)」なんて言ってみたくもなる。イノベーションの大安売りだ。

まあ、以前はこういった風潮に義憤を感じたりなんてしていたのだけど、最近はそうでもない。経営って、しゃあしゃあと「わが社はイノベーションしてます」って言い切るくらいの厚かましさが必要なのかも、なんて思い始めているから。

おっと、ちょっと脱線した。イノベーションは難しいって話。僕もあわよくばイノベーションを起こして・・・、なーんて夢想するのだけれど、考えれば考えるほどこれは難しい。実に忍耐が要る。

以前id:fuku33先生がこんなことを書かれていたわけで。

・・・実は「ものの価値はものにない」んですよ。
・・・ガソリンを社会のあちこちにもっていくシステムがそれ単独で存在したところで、そんなもの我々にとって何の意味がありますか?自動車がなければガソリンスタンドはただのコンクリの庭ですよ。
・・・ものとものあるいはものと人、ものとサービスなどの関係性にこそ価値はあるんです。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070810/1186677224

これを技術に当てはめれば、技術の価値は技術にはないわけだ。技術と技術、技術と人、技術とサービスなどの関係性にこそ価値がある。

イノベーションも然り。イノベーションは技術革新などと訳されるわけだけれども、技術が革新されるだけではイノベーションにはならない。その技術を受け入れるだけの社会・業界の変容が不可欠なのだ。言い換えれば、イノベーションとは技術の革新ではなくて、技術と社会の関係性の革新である。

イノベーション = 技術革新 × 社会革新

さあ、イノベーションを起こしたいとするならば、一体何から始めればいい?「技術革新」が卵、「社会革新」が鶏とするならば、鶏と卵はどちらが先なんだ?

実は、ソフトウェア技術の中に「鶏と卵の問題」の解決策としてよく知られているものがある。そう、ブートストラップだ。ブーツの靴紐が左右交互に穴を通りながら編み上げられていくように、技術革新と社会革新を交互に編み上げていくしかないだろう。

キャズム」という本の中に、次のような記述があったように記憶している。(うろ覚えなので正確な引用ではない)

池で最も大きな魚になりたいのなら、最初は小さな池を選べばよい。

最初は、小さなニッチ市場からスタートして、徐々に大きな市場へと飛び移っていくしかない。と言うのは簡単だけれど、これは本当に難しい。90%は運じゃないだろうか?

結局のところ、お客さんとの「出会い」が90%を握っている。「出会い」が市場を決めるし、「出会い」が進化の方向を決める。

大事なのは、その「出会い」の見極めだろう。これだ、という出会いを見つけたらそこに食らいついて、何がなんでも成功させる。その出会いを大切にする。僕に出来るのはそれだけだ。