ものの「価値」はどこにあるのか

「ものの価値はものにない」んですよ。
・・・
価値はその財単独にはなくて、ものとものあるいはものと人、ものとサービスなどの関係性にこそ価値はあるんです。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070810/1186677224

ああ、そう、そうなんだよなぁ。
以前は、「価値」の本質を支えている「もの」はなんだろう、なんて考えていたのですが、そういう考察の仕方からは空しい結論しか出てこないことに気づいた。本質を探して皮を一枚一枚剥いていっても、どこまで剥いても本質は出てこない。ラッキョウの皮を剥くサルになったような気分になってくる。

「本質」などという「モノ」はない。あるとするならば、それはモノとモノの間にある「なにか」だ。絶対的な「本質」などという座標軸はないのだ。すべてはモノとモノの相対関係で決まる。相対関係にこそ、皮と皮の隙間にこそ、探るべき「なにか」がある。

そう、探るべきは隙間(=インターフェイス)だ。その探求を「デザイン」と言う。

ラッキョウの皮をむいても本質は見つからない - カタチづくり

製品企画もね、モノをデザインしようとしたらダメなんだろうな。隙間(=インターフェイス)をデザインしないと。福耳さんはそういうことを主張されているんだと思う。

ソフトウェア開発の世界で、「モノコト分析」とか「モノ・コト・バ」とか言う人がいて。ソフトウェア開発って言うのは、現実世界で人がやっていた仕事をシステムに置き換えるわけだから、それらの仕事の価値の構成を一旦部品にバラして分析する必要が出てくる。で、重要なのは、モノとモノが直接関連することはない、ということ。必ずモノとモノの間にはコトが起こる。色んなコトが集まるとバになる。そういうバの構造を捉える必要があるんだね。
モノだけでなく、コトやバを捉えて、そこにうまく適合する製品を企画しないといけないんだと思う。まあ、言うは易く行なうは難し。僕も試行錯誤して頑張ってみるしかないな。

此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す

と説かれる。これは「此」と「彼」とがお互いに相依相成しているのであり、それぞれ個別に存在するものでないことをいう。すなわち有・無によって示される空間的にも、生・滅によって示される時間的にも、すべての存在現象は、孤立してでなく相互の関係性によってのみ現象していることが説かれている。

縁起 - Wikipedia

縁起説に基づいた製品企画、が必要ですかね。