因果律依存症と自己責任論
「因果律依存症」って、ふと思いついた勝手な造語なんだけど。要するに、すべての結果には原因があるはずと信じ、ある事件(結果)の原因が分かると安心すること。もっというと、原因が分からない結果には不安を覚えること。
ま、人間ってのはみんな因果律依存症だよね。因果律を信じているから、未来を夢見て、現在の行動を決定するわけだ。因果律を知ったからこそ、人類は繁栄したのかもしれない。
ところが、世の中にはちょくちょく理不尽な事件が起こる。
例えば、特に大きな恨みを買うような行動をしたわけでもないのに、無残に殺される人がいる。
例えば、普通の生徒のはずなのに、酷いいじめを受ける子がいる。
理不尽な事件というのは、要するに原因が良く分からない事件だ。自分の生活感覚で得た常識に照らして、そこまでの結果になるような原因を作ったとは思えない事件。
こういう事件を見ると、人は不安になるんだと思う。だって、自分は真っ当に生きているからそんな被害には会わないと信じたいし。真っ当に生きていても、運が悪いと殺されてしまうこともあるなんて信じたくないしね。
そんな不安が、「きっと被害者にも何か原因があったに違いない」という心理に追い込むんだと思う。それで必死で被害者側の原因探しを始める。被害者側の自己責任を問い始める。被害者が、更なる攻撃の対象となってしまう。
結果として、社会問題が被害者の自己責任に矮小化されてしまい、解決されないままとなる。よって、理不尽な事件は起こり続ける。よって、人々の不安は解消されない。よって、ますます自己責任論が強まる。